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幸せに生きていく道を模索するブログ

チョコレートを食べるとすこし幸せになれる。すごいよカカオマス

幸せになるには

今日はいつもよりすこし頭が回る

なので、幸せになるにはのテーマについて、いつもとは違った視点で思考できる気がする。

僕が幸せでない理由は、第一に不満があるからだ。
僕の不満は大雑把にまとめると
仕事
自らの意識
に8割以上が当てはまる。

つまり、仕事を変えたり、辞めればいいのだ

と簡単にすめば僕はとても嬉しく思う。

しかしそうは行かないようだ、
前述した意識のせいで、僕はやる気気力などが著しく低下している(と思う)
その状態で転職する気力などあるはずがない。
ましてや、希望的観測もできない。仕事に必要な前進力や成長力がまるでないのだ。
直したいとも思えないあたりがまた笑える。

金を調達できない状態で仕事をしなかったら僕だって人間なので衣食住に困る。

金がなくて不幸に生きるか、仕事をして不幸に生きるか。

そう考えたとき、仕事は常に嫌なわけではなくて楽しいときだってあるのだ。
それに、金で遊べはする。

そして現状維持に落ち着くのだ。

なんの実りもなかった。

出来ることなら、他者と分かり合いたい

出来ないから、それは怒りとなり嫉妬となり恨みとなり不信感となる。
どうしてできるの?という怒り
なんでお前にはできるんだ!という嫉妬、恨み
僕が違うから、おまえは僕を排除しようとしている?という不信感

そもそも、僕が他者を理解できないし、
道端を歩いていても嫌悪感を覚えてしまう。
たとえば些細なことにキレていたり。
僕に優しくないと、嫌悪、不信。

僕が、他者を理解し、受け入れられる日は来るのだろうか。

食事は手っ取り早いインスタント幸福。

今週のお題「おやつ」

こんな僕でも、お菓子は大好きだ。
毎日毎日通勤時帰宅時満員電車の中、すべてで僕は窓を見つめながら

幸せとは?
僕は仕事をしたいのかしたくないのか?
僕はなぜ雑談ができないのか?
どうすれば楽しくなれるのか?

などを延々と考えているが、

帰宅すれば菓子をむさぼる獣と化すのだ。

そう考えると、食事と自慰、睡眠をしているときは
僕は幸せの真っ只中にあるのかもしれない!
灯台もと暗しだった。

しかし、僕はこれをインスタント幸福だと考えている。

手軽に誰でも補給できる。しかしそればかり補給していて、本当に幸福と言えるのだろうか?

僕はインスタント幸福を得ているのに、こんなブログをかく始末だ。


僕はインスタントでは満足できない状態になっている。美味しいレストランやお菓子を知っているからだ。

世の人々が恋人やらを造り幸せそうにして、友人と笑いあったり、偉大な功績を残しているのを知っているせいで、インスタントでは満足感を得られないのだ。

知らなかった頃に戻りたい。


僕はインスタントでないものを築き上げる努力と努力に付随する、苦悩、辛さを受け入れられない
だから空虚だ。どちらも得られないのだ。
どちらか片方なんて、無茶なのだ。

到達したい状況

僕は、誰にも否定されたくないし、指図されたくないし、何か妨害されたり、マイナスの気持ちを他者によって産み出された場合非常に嫌悪感を覚える。
要するに、自分に都合のよい、関係性以外認められないのだ。
嫌なものは嫌なのだ。
何度か、大丈夫になるよう意識を変えようと試みたが、意識を変えるなど無茶だった。
そもそも、変えたとしてそれは幸せに繋がるだろうか?否、自分をだましているに過ぎないわけだ、心はネジ曲がりさらに屈折を極める。
僕は、幸せでないと嫌なものは嫌なのだ。
幸せになるには、幸せに簡単になれたらなっているのだ。
幸せになるには、本当に辛さが必用なのか?
僕は本当に幸せになるのにも、生きることにもまったく向いていない。
こんな僕は求めれば求めるほどつらくなるのだ、今までの経験が物語る。
しかし、ではどうすればいいのだ、僕は考えた。
求めたものをてに入れられず、手に入れても虚しい僕は、死を最高到達点とした。
そこにいけば、もう成長しなくていい、考えなくていいなにも求めなくなる、だれとも比較せずにすむ
むなしさも感じない、悲しさもない。死んだことがないのでわからないが、その安らぎを求めて。
そこに至るまで、いや、至ってからも壮絶な苦しみがあるような気がする。病気はつらいだろう。
僕は、常に安らいでいたい。
この望みは叶いそうもない。
平和であろうと僕は不安なのだから。

心の葛藤

僕は葛藤まみれの心をしている。
どれが本心なのかは、わからないのだ。
全部本心かもしれないし、全部本心ではないかもしれない。
矛盾の欲求が常にあり、それを元に行動しているため、毎日違う人格なのではないかと錯覚する
混乱する。ので分析して答を得たい

人と楽しく会話したい。↔なるべくかかわりたくない。

これをしっかと考えると、会話したいのではなくて楽しくなりたいのだと思う。楽しくなりたい気持ちは本心でありぶれない気持ちであると言える。


働いて安心したい、充実したい。↔面倒くさいしムカつくから働きたくない。

これだって、本当は仕事なんてどうでもいいのだ。
ただ、安心と充実が欲しくて、面倒とムカつきが要らないのだ。

次の記事では、目的と達成方法について思考する

人間が嫌い、憎いと思う理由

僕は1日一回
いや四六時中、他者への
恐怖
不安
悲しみ
不信感
その他諸々のネガティブイメージ
に苛まれているわけだが、
本当はそんな事思いたくはない
当たり前だ
ネガティブな事を考えていても楽しいわけがない
じゃあ考えなければいいのだが
考えざるを得ない
どうしたら考えなくて済むのかわからない
つらい
僕が考えるきっかけとして
他者が他者と楽しそうにしているときに強烈な
悲しみ、不信感、恐れを覚える 
これは、僕が誰にも受け入れられていないのに
他者同士は受け入れ合っている事に対する
嫉妬
怒り
悲しみ
疑問
が入り交じって起こる一種のパニックだと思う

受け入れられていない
というのは、僕が考えることなので
実際は違う、と思いたい。疑心暗鬼であり被害妄想、自意識過剰の類いだと思う

これを回避するには、僕から積極的に他者を受け入れることだ
しかしその前段階の会話ですら上手くできなく、相手からのレスポンスが少し素っ気なかっただけで
僕の精神は不安定になる。
この状態での挑戦は、非常に恐ろしい。
一時的ではあるにしろ、僕は不信感、不安感、恐怖に苛まれ、パニックに陥るわけだ。
そのときに、僕が何をするかわからないのだ
何かしてしまえば、本当に拒絶されるであろう
そもそも拒絶されるのがこんなに恐ろしいのはなぜなのか
いまとあまり変わらないような気もするが。
そうだ、僕は回りのやつらだけ楽しそうなのはとても気にくわない、僕をないがしろにし、拒絶するのならなおさらだ
僕は一人間として、敬意を持って接されなければどう考えてもおかしい。
僕だっていやだけど、他者に敬意を払っているのたから。
こんなに他者に合わせてるのに、僕の何が不満なんだ?僕の何が他と違うんだ?
あいまいな態度を取るのなら、いっそ、期待させないでいただきたい
そうしたらこちらも、あきらめがつくというのに

どうしたら幸せになれるのか、なぜ生きるのか

どうしたら幸せなんだろう、幸せだと感じながら生きる状態を目指してはいるが、そもそも幸せってどんな状態なのだろう。

まず、幸せと少しでも思う物事をあげてみる
美味しいものを食べた時
楽しい会話ができたとき
ゲームで勝ったとき
と、こんなものだろうか。これを感じていないと、僕はさも簡単に生きている理由を見失い、死を意識する。
それは不安を感じた時も同じ。

僕にとって人生は人生の一瞬一瞬全てに幸福を少しでも感じられないと、人生を無価値、もとい憎むべきものと判断し、生きていることを不幸な事と定義し、現実逃避として死を望む、そうすれば楽だからだ。

思い通りにならないこと、幸せでないこと、不安なこと、嫌なこと、全てを否定し拒否するのが自分なのだ。しかし、拒否してもこれら全てが起こらないわけがない。生きている限り。
だから僕は安全な所から、死の空想に逃避するのだ。
そういうことがあったら僕には死という究極の逃げ道がある!と、
それがあるから逆に生きていられるとは、皮肉だ
なと思う

死の空想に逃げると、楽にはなる。しかし常に不安と不幸は消えないのだ。
幸せでないのだ。
結局のところ、幸せでないのだ。
幸せになれることも限られている上に、外界からの影響で簡単に不幸へと落とされるのだ。
僕の生きる理由は、幸せを感じるためだ。
不幸へと落とされたら、動かなければならない時だ、そうしなければ幸せはなかなかやってこない。